
=目次= ・・・2010年1月公開
1.はじめに
2.TPMの本質は、人を活かす 人が生きる経営
【参考】 TPMの生立ちと発展史 (TPMの生立ちから、全社的TPMまで)
■ PM(予防保全)がTPMの原点
■ PM(予防保全)から、PM(生産保全)へ
■ TPM(全員参加の生産保全)の誕生
■ 全社的TPM時代へ
(中嶋清一 著 「人を活かす経営 人が活きるTPM」の第1章、2章の一部分を編集・再構成したものです)
1.はじめに
TPMを提唱したのは1971年(昭和46年)のことである。当初、TPMとはTotal Productive Maintenance (全員参加の生産保全)の頭文字をとって略称したものとし、設備の計画部門・使用部門・保全部門などが全員参加で生産効率を最高にすることを目標とした。すなわち、生産部門を対象とした管理技術であった。
1970年代は日本産業界の高度成長時代であり、「つくれば売れる時代」であった。しかし1980年代に入り、「つくれば売れる時代」から「売れるモノをつくる時代」へと変わり、TPMもその変化に対応して、開発、生産、営業、管理などあらゆる部門を対象とする「全社的TPM」へと発展した。今日のTPMは、Total Productive Maintenance & Management または、Total Production Management の略称だとしている。
2.TPMの本質は、"人を活かす 人が生きる"経営
TPMとはなにか。その真髄を一言で言うならば「人を活かす 人が生きる 経営」である。全従業員の一人ひとりがその潜在能力を発揮することによって、企業の目指す目標を達成し、同時に自らも自己実現欲求の充足という最高の満足感が得られるのがTPMである。言い換えれば、TPMとは「自己実現・参画型経営」なのである。
ロンドン・ビジネス・スクール客員教授のゲイリー・ハメル氏は、その著書「経営の未来」(発行:日本経済新聞社、2008年)で、「職場で働く人びとの約85%が、自分の持てる力を100%発揮してはいないと考えている」という16カ国・8万6,000人を対象としたコンサルタント会社による調査結果を紹介したうえで、次のように述べている。「21世紀の企業を取り巻く環境は、かってないほど変化が激しくなっている。ますます増えてくる新興企業より先に行くためには、社員を奮い立たせて各自の最高の力を発揮させる方法を学ばなければならない。」
私も彼の意見に全く同感である。これこそ現代の企業が抱える根本的な課題であると思う。上司の命令と統制にひたすら服従するだけの働き方では、働く人たちをフルに活かすことはできない。TPMは、「やる気・やる腕のある自律人間の育成」をし、「自分の仕事は自分で管理する」自主管理が特徴で、全員参加の小集団活動で改善に取り組み、災害ゼロ、不良ゼロ、故障ゼロ、安全・快適職場づくり、そして「儲ける企業体質づくり」をする。 まさに"人を活かす 人が生きる" 経営なのである。
【参考】 TPMの生立ちと発展史 (TPMの生立ちから、全社的TPMまで)
■ PM(予防保全)がTPMの原点
1951年に東燃(現:東燃ゼネラル石油)の定員査定調査を任された際、ポンプや配管などのトラブル対処で正常運転以上の要員が必要な現状を見て、設備保全体制づくりを提案した。そして、東燃はこの提案を元に提携先の米国企業から予防保全(PM: preventive maintenance)を導入した。
そのシステム化に携わった私は、PMの必要性を強く認識し、これをライフワークにしようと決意した。今日のTPMからみれば全体の一部でしかないが、TPMの歴史はPM(予防保全)から始まったといえる。
■ PM(予防保全)から、PM(生産保全)へ
1958年にPM指導の専門家としてジョージ・スミス氏(米国)が来日した際、生産保全(PM: productive maintenance)という言葉を強調していた。「メンテナンスは企業が生産性を向上し、儲けるためにやるのだ」という。それ以来、私自身も生産保全の意味でのPMを強調するようになり、産業界でも徐々にPMといえば「生産保全」と受け取られるようになった。
■ TPM(全員参加の生産保全)の誕生
1969年に日本電装(現:デンソー)を訪問した際、生産技術担当の青木勝雄 常務取締役(後に副社長)から、注目すべき話をうかがった。「今のPMは保全部門が中心だが、自動化の進展で現場は大きく変わりつつある。そこで、保全は保全部門まかせの考えを改め、全員参加のPM体制づくりをしたい」ということだった。
私は全面的に賛同し、この全員参加のPMを、トータルPM、さらに略してTPMと呼ぶことにした。日本電装は、この活動によって素晴らしい成果を上げ、1971年度のPM賞を受賞した。こうして日本の産業界はPMからTPMへと移行したのである。
■ 全社的TPM時代へ
1982年に、アイシン精機がそれまでの生産部門のTPMの殻を破り、開発・営業・管理などを含めた全部門が参加する全社的TPMを展開し、PM賞を受賞した。それを機会に、TPMの定義もモノづくり全体に関わる「生産システム効率化の極限追求」を目標とするように改訂し、全社的TPMの時代へ変わったのである。
◇ 中嶋清一 (Seiichi Nakajima) プロフィール紹介
(株)JIPMソリューション マスターTPMコンサルタント、 TPM優秀賞審査委員、 日本能率協会 顧問
1918年生まれ。49年 日本能率協会 入職、69年 理事、77年 常務理事、90年 顧問に就任。 81年 日本プラントメンテナンス協会(JIPM)設立と同時に専務理事、86年 副会長、92年 顧問、2000年 顧問退任。 1986年 藍綬褒章受賞。1951年にPMを日本に導入、1971年にTPMを提唱した。以来、その普及・啓蒙に携わるTPMの第一人者。海外からもTPMの創始者として高い評価を得ており、Mr.TPMと呼ばれている。著書に「経営革新とTPM」、「人を活かす経営 人が活きるTPM」ほか多数。